最近・・

なぜかやたら健康食品のコマーシャルが目につき

その都度、少し不快になる・・

どの健康食品のコマーシャルも

そのほとんどと言っても良いくらいだと思うけど

「いつまでも若々しく・・」「長寿・・」

等の言葉が躍っている

極端な場合

「昔から不老長寿の妙薬と言われていた・・云々」

などというキャッチフレーズもあるくらいだ

不老長寿・・!?

でも 皆そんなに不老長寿になりたいのだろうか!

僕は不老長寿になんてなりたくない!!

これは前にも書いたけど・・

なぜなら

「不老長寿なんて究極の孤独になることを意味する」

以外の何物でもないと思うからだ。

不老長寿または不老不死とは恐ろしく孤独なのだと感じたのは

高校生の手塚治虫の「火の鳥」の未来編を読んだときだ。

未来編の主人公となる人が地球が全面核戦争で破滅する直前に、「火の鳥」から

不老不死の身体にされてしまうというストーリーだった。

そして全人類破滅したあとで、自分だけが生き残り、永遠に生き続け

地球が再生するのを見守らなければならないという運命を背負わされるのだ。


以下は不老不死になるということに対して最も衝撃を受けたページだ

Hinotpri-mirai


つまり不老不死なんて孤独になる以外の何物でもないのだ。

僕にとって孤独ほど恐ろしいものはない。

それは僕の辛い体験からくる本音だ。

僕が半身麻痺の障害者になって退院して自宅に戻った当初、

ほとんど身動きが出来ず、

自宅で一日中部屋の天井を見て過ごさなければならなかった。

100mほど先にあるコンビニにさえ行くことがとてつもなく苦しいような

身体の状態だった

まるで、一人部屋に閉じ込められている感だった

それは恐ろしいほどの孤独だった。

(たぶんこの恐怖の感覚は経験した人でないと理解できないと思うけど・・)

うまく言葉に出来ないけれど、脳出血によって障害者となり、

それまで築き上げてきた会社は破産、自分自身も父親として、あるいは夫として

必要な能力まで、いろいろなものを失ったという絶望感の中で、

たった一人外出も出来ず、何もできず、部屋のベッドで寝ていた日々。

例えば自分ではできないことがあったり、ちょっと空腹を感じて

何か食べたい、とか飲みたいとか思っても、


ただひたすら家族が帰ってくるのを待つしかない

孤独だった。。。

それは恐ろしいほどの孤独だった。

(たぶんこの恐怖の感覚は経験した人でないと理解できないと思うけど・・)


本当に死にたいと感じた。

そのときの経験から僕は孤独というものを最も怖れている。

だから僕は常に「人とのつながり」を感じていたい。

それこそが僕にとって生きる価値であると感じている。

そのためには「役に立つ人間」でありたい。

小さな事でも良いから、「必要とされる人間」であらねばならないと思っている。

でなければ「つながり」が切れそうで恐いのだ。

不老不死だけでなく、長寿であることも孤独につながると感じている。

だって例えば150歳まで生きることができたとしても、知っている世代の人間は、

全て死んでしまっているという状態ではないか。それどころか自分の家族、

自分の子供さえも死んでしまっているかもしれない。

話相手が存在しない状態ではないか。

それこそ孤独ではないか。

今、日本は超高齢化社会になりつつあろうとしているけど

実は高齢(それも100歳近い超高齢)老人は

実は大変な孤独を味わっているのではないかと思うのだ。

100歳近くにもなれば、

同世代の友人、知人、

それだけでなく子供でさえも

先立たれている可能性は大きいはず

時代も激変しており、

自分が(元気に)生きた時代の価値観は通じなくなりつつある

たとえ、人と話せても話題が合わない、もしくは無いのではないか

人と話したくても、話せない・・

そんな状況ってとても孤独だと思う




そしてもう一つ僕が思っていることは・・

死後に魂が残るということも

恐ろしく孤独ではないかと思うのだ。

そもそも自分が死んで魂が残ったとしても、

その自分の魂は

愛する人(妻や子供)とつながり


(コミュニケーション)を持つことは不可能なのだ。


人間から死人の魂とコミュニケーションを持つことが不可能なのだから、

魂側からも人間に対してコミュニケーションを持つことは不可能だ。

コミュニケーションとは双方向で成り立つものだから・・

稀に霊と交信ができるというおかしなヤツもいるが、、

そんなのはは論外として、魂が残ってもコミュニケーションが出来ない限り、

孤独ではないか。恐ろしく孤独な状況だ。

そんなことからも、僕は死後は魂など残ってほしくないと思っている。

そんな孤独なんて耐えられなから・・


いつも書いているように僕は脳=心=魂だと信じており、

死は脳の消滅であり、魂の消滅であり、心の消滅である。

つまり「無」だと思っている。

そんな考えは空しいとい言う人もいる。

御先祖様の霊が存在し、その霊を弔う気持ちを持つことは大事だなどと・・

僕は別に霊など存在しなくてもよいと思う。

霊など存在しなくてもご先祖様に感謝する事はできるだろう。

自分の存在するのはご先祖様のおかげだと感謝することはできるのではないだろうか


僕は、魂なんかが残って孤独になるのが恐ろしいから死後は「無」であってほしい。

「全てのつながり」の切れた状態の「究極の孤独」なんて味わいたくない、、、

死後は魂が残ると考えたほうが、むしろ僕は死が怖くなる


死後に肉体は滅ぶけど魂だけは残り、

その魂は永遠に生き続けるということを望むことから

人類の多く(宗教の多く?)は「あの世」という想像の世界を

創りあげたというけれど

僕は真逆である。

死後は「無」やってくれた方が死を怖れなくて済む。

死とは「全てのつながり」が切れて「無」になると思う

だからこそ今生きているこの瞬間の「つながり」を大切にしたい。

そしてその「人とのつながり」を保つためにも「役に立つ人間」であり続けたい。

たとえ障害者であっても「必要とされる人間」であり続けたい。