思える思うがままにならぬ事を


思うがままにしようとして、


思うがままにならない事を

苦という



正しい行いをしているはずなに、

最低限の人間としての生き方さえできない

そんな人間の苦を

正しい運転しているに出合う交通事故に例えて、

昨日記事に書いたら、

僕と同じ脳卒中なり視床痛に苦しんでおられる

読者から脳卒中の後遺症で苦しむことになったことを

「運」だ

とコメントいただいた。

車で正しい運転をしているに、

交通事故に出合うようなものだから、

確かに「運」かもしれない

でも、

病も「運」だろうか?

不摂生しているか、

いないかに関わらず

人は病におそわれる

あの長嶋監督だって

健康には人一倍気を使っていたという


それでも脳梗塞となり、

ほとんど復帰不可能な状態だ

だから、

「運?」

そうも感じないことはないけれど


僕は違うと思っている

僕は

「必然」

だと思っている

不摂生の結果の「必然」なら

わかるが、不摂生していないのに

脳梗塞になったのが「必然?」

そんなの合点がいかない

かもしれない

でも僕は

「人間としての必然」

だと最近思う

人間は

この世に生まれてきた瞬間から

老い、病いに襲われ、死を迎える

この運命からは

誰しも逃れる事はできない、

どんなに健康管理しても

どんなに医学か進歩しても、

である

そして人間は死を迎える際

必ず強烈な苦を伴い、味わうことになる

それは必ず・・である

僕の知っている限り亡くなった方(ほとんどが癌だったけど)

その苦しみたるや想像を絶するものである

そのことは亡くなった方の亡くなる直前の様子を見れば容易に

推察できる

唯一ひとり苦しまなかったのではないかと(推察に過ぎないけど)思える方がいた

それは昼寝中に脳幹出血し、奥さんが起こしに行った時には既に亡くなっていたとのことだ

脳幹とは体温調整や呼吸、心臓など生命維持の中枢を担う脳細胞だから

ここが損傷すると「瞬時に」死ぬからだ

このような例は稀にしてもほとんどの人間は癌にしても、肝硬変にしても事故にしても

人は必ず苦しみもだえ死を迎える

そしてそれは人間として生まれた限り必然であると思う


僕はたまたま、

普通の人より死ぬ前の苦しみを早く迎えただけ・・

他の人間と同じ・・


でもこんな苦しみを人より早く迎えた事は「損」なのか・・


このことについては僕自身何ども自問自答した・・

その結果

僕はこの苦しみを人より早く迎えた事が僕の残りの人生を

もし、苦しみを与えられなかった場合の自分よりも

より有意義に生きる機会を与えられた

今、僕はやっとそんな風に思えるようになってきている。

少なくとも健常な頃の僕よりも全く違う判断と行動パターンだし


そのことによって(これは自分でも驚くべきことだけど)

全く違う世界が広がりつつある

もしこれが80歳近くになってから起こった事(脳出血による後遺症とその苦しみ)

だったとしたら、せいぜい介護施設で「療養状態」が続き、そのまま死を迎え、

これほどまでのあらたな世界は広がらなかっただろう。


そんな意味で、


僕は意義あるものだった

或いは、意義あるものにできたのではないかと思っている