僕は仏や神や先祖の霊などのいわゆる超越的な存在がいるとは全く信じていない

これは僕なりの考えだけど

仏や神とは希望を持つ人の心に宿るものであって、

決して超越的な存在ではない

更に仏とは

地獄のような状況の中でも

最後まで希望を捨てず、

智慧を持とうとする人の心に宿ると思う


それ故、自ら諦め、希望を捨て憎しみや憎悪

あるいは怒りと悲しみに浸ろうとする心には

神も仏も宿らない

そう思っている

だから超越的な存在の神や仏や霊魂が人間を守るのではなく

希望を持つ自分の心に宿る

そんな「神?」や「仏?」が自分自身を救うのだと思う

だから 自分自身を救うのは自分自身の心でしかない

脳出血による半身麻痺という障害を負って

何度も死のうと思ったり

正直、(心の中では)「これがウソであってほしい」と

何度も神頼みをしながら、

自分は

どうやったら

強くなれ、

どうやったら

この障害を抱えて生きていけるのだろうか

と考えてきた僕の一つの結論として

そう感じるのだ

神や仏先祖の霊などのいわゆる超越的な存在など一切いない

自らが希望を持つことができてこそ

そこに「

神?」が宿り

「仏?」が宿り

「先祖の霊」が宿り

自分自身を強くでき、自分自身を救うのだ

と・・


以前も書いたけど

希望を持つという事には何の根拠も必要はない。

根拠ない希望を持つ事が

人間が智慧(この苦しい世の中を生き抜く能力)

を授かるための術であると思う


そして

自分自身が希望を持つためには

自分自身が自信を持つためには

そして

やる気を出し前向きになるために

根拠なんて必要ないと思っている

環境さえも必要ないと・・



必要なのは希望を持つ心だけ・・



明日、自分が交通事故で死ぬかもしれない

などと思っている人はほとんどいないだろう

皆、「明日も生きている」と信じている

「交通事故で死なない」という希望を持っている

そこにも、

何の根拠もないではないか

明日も生きているという「根拠のない希望」を

持っているからこそ、

頑張れるし、

心を平静に保つことができている

もし、「明日自分は死」ぬなんて思っていたら

たぶん頑張れないと思う

心も平静ではいられない


考えてみれば、今を生きているということは

皆明日も自分が生きている

という「根拠のない希望」を持っているからだと思う


そんな意味で

「希望を持つ心に仏や神が宿る」と思うのだ

そして僕は今、

この障害を持ちながら希望や志を探し続けてきた結果、

大きな大きな

とてつもなく大きな

希望が志を持つことができかけてきている

それはほんのこの1か月の間に出来上がってきた

不思議なものである

半身麻痺になったからこの4年半

必死の思いで追い続けてきた再生可能エネルギーに関する

志というか

希望というか

夢がなんと具現化してきたのだ・・

本当に驚くべきことである

今まで「点」と「点」であった知識や人とのつながりが

ここにきてすべて繋がってきそうなのだ

こんな具体的な夢を持つことができるとは

こんな壮大な志を持つことができるとは

夢にも思ってなかった・・



大事なのはこれからである

より緻密に戦略的に「こと」を運ばなければならない

ここまでくれば・・

僕の中にもうネガティブな心はどこにも存在しない

心の中の希望こそが僕にとっては神であり、仏である。。

今、まさにこんな体験をしているからこそ

仏や神は希望を持つ心に宿ると思うのだ