僕もそうだけど人はつらいときその状態がいつまでも続くと考えがちだ。

たとえその時点で解決法がなくても、心さえ止めなければ何かが変わると思う。

倒産、破産、解雇、退学・・・

こういったわかりやすい現象には多くの人々から助言をもらうことができるでしょう。

でも障害者になるとか、人生をかけて得てきたものをはく奪される、

また事故によって人を傷つけてしまうなどなかなか簡単には解決のつかない辛さもあります。

簡単に「生きてて良かったね」とか「生きているだけで丸儲け」などと言われても「うん、そうだね」
とは思えないものです。

そんなとき僕もそうだったけど人はそのつらい状態がいつまでも続いていくと考えがちになります。

でもそは違うと思う。

解決法がないからそのまま何も変わらないというのは違うと思う。

僕は障害者手帳をもらったときの病院の診断結果に「左手廃用・全廃」とか「症状固定」と書かれていました。

このとき、僕はいろんな人に聞きました。

実は僕は脳出血で倒れは急性期病院に運ばれ入院していた初期には1か月もすれば元気に退院できると思っていました。

いやリハビリテーション専門病院に移送されたときでさえも、6か月は長いけど6か月もあれば元の身体に戻り

また息子の幼稚園の運動会の父兄リレーにも出場できると思っていました。

でも違った・・

リハビリテーション専門病院に入院中に徐々に気づかされてきた。

発症後5年経過しても元通りになっていない人がいることを知った。

いや発症後10年経過しても元通りになっていない人がいることを知った。


まさに絶望だった。医師に言われた言葉を今でも忘れることができない。

「現実を伝えることも医師の仕事です・・」と、、、


言葉を失った。


ほとんどの人は「一生治ることはない」と聞かされたら絶望するでしょう。

僕もそうだった。。

一晩中泣き明かした。

でも今振り返ると、そこで完全に崩壊したと思った僕の人生は実はそこからが新しいスタートだったのです。

絶望感で無気力状態にもなりました。

でも実は(絶望の)その瞬間に僕の心は180度(いやそれ以上かもしれない)変わっていたのです。

どう変わったかと言われると難しいのですが、簡単に言うと人生の見方とか価値観が変わった瞬間だったと思うのです。


その日からテレビの味方や、外で人が歩いている姿を見ても新しいモノの見方をしていたと思います。

絶対に認めたくないと思っていた心にも変化が現れ始めたと思います。

なぜなら、僕は自分でこの半身麻痺という障害を治すことはできないし、一生付き合っていくしかないからです。

この身体で少しでも快適に、少しでも不自由なく・・と考える日々が続きました。

確実に言えることはどんなときでも「人はどんなときでも成長する」ということです。

同じ能力や思考力のままではなく、新たな情報や意見を取り入れて僕は成長したと思います。

解決すること絶対にないと思い悩んでいても、人は生きているうちに必ず変わってきます。

いわゆる諸行無常というやつです。

本当に苦しんでいるときに人から「止まない雨はない」とか「夜明けの来ない夜はない」とか言われても

「この雨は止む気がしない」とか「この夜が明けるっとは思えない」と考えてしまうのが苦しんでいるときの心情です。

だからその心の地獄から抜け出すためにこう考えるのです。

「雨が止まないなら傘をさそう」、「夜が明けないなら明かりをつけよう」

辛い状況になっても何かを始めてみる。もしくは何かを止めてみる。

こういった「変化」を起こすことで、成長していけるのが人間だと思うのです。

僕の場合は、簡単なことですが食事のときにお茶碗を持つことを止めた

ほんのちょっとしたことですが、これだけで僕は「お茶碗さえ持って食事をすることができなくなってしまった」

という苦しみから解放されたのです。

そして何か新しいこと・・

それは片手でも自分にできる環境技術のデータベースサイトの製作でした。

当初はこれが僕の将来の生きていくための糧になるなんてこれっぽっちも思っていませんでした。

自己満足と自分の楽しみとか趣味のレベルだったのです。

でもそこから「変化」が始まっていたのです。

それがきっかけで今の僕がいる。

アフリカのギニアとのビジネスの仲介までするようになっているのです。

絶対に終わらないと思えるような悩みを抱えていても生きていれば必ず変わってくる

そして人は成長すると思うのです。


成長さえすれば、将来たとえ病気が治らなくても少なくとも「悩み」は解決できると思うのです。

そんな意味で人にエンドレスの苦しみなんて存在しないと思うのです