人間、生まれたときから挫折の連続ではないか。

ミルクを飲むのに失敗し、

立ち上がることに失敗し、

歩く事に失敗し、

ころんで怪我をして、

そこからどうしたら転ばないで済むかを学び、

なぜ転んでしまったのかえおも学ぶ

そんな学びがあるからこそ歩く事ができるようになり、

ミルクもこぼさず飲めるようなる。

誰しも失敗の連続であり学びの連続ではないか。

でもその失敗に挫けることなく、

失敗を糧にできるからこそ成長してきたのではないか。

失敗こそ、挫折こそ学びの宝庫ではないか。


一度失敗したくらいで、挫折をしたくらいで諦める必要はない。

失敗したところで終わるから失敗なのだ、成功するまでやり通せば成功になる


多くのことを学ぶことでができれば、

次からはそれまでに感じることが出来なかったことを感じることができ、

物事に対する判断能力も向上していると思う。

そしてより有意義な人生を送ることができるのではないかと思う。


失敗は悔しいかもしれないけれど決して恥ではない。


僕も障害者になって多くのことを学ぶことができたと思う。

障害者の気持ちを理解できるようになった。

日々の「悔しい思い」を理解できるようになった。

体が動かなくなってきたお年寄りの気持ちまで

理解できるようになってきたと思う。

健常者の頃、車で左折をするときなど、横断歩道をゆっくりと(当時の心の言葉だと「モタモタと」)歩くお年寄りいてなかなか左折が出来ないとき、

「まどろっこしい!」と思ったものだ。

後ろにいた車の運転手も同じように思っていただろう。

でも今はそんなふうには思わない

そんなとき、最も「まどろっこしい!」と

感じている人はそのお年寄り本人なのだ。

そして思ったように動かない自分の体に本人が最も「悔しい」と感じているに違いない。

そんなことが理解できるようになった。

そんなことを学ぶことができたことで優しくなれる自分がいる。

イライラしないで、ゆったりとした気持ちで

そのお年寄りを見守っあげることができるのだ。

たったこれだけのことだけど日々の生活の中ではとても大切な感じ方だと思う。

こんな「捉え方の違い」の積み重ねで人生は大きく変わるのではないか。

もっともっと心豊かになることができるのではないか。

だから障害を負ってしまったことで、スムーズに物事が出来ないことに対して

決して恥じることなく、

むしろ他の人には学べないことをまだ学ぶことができたと誇りに思うようにしたい。

そしていつでも凛として生きていきたい。