「環境保護」

この言葉に最近非常に違和感を感じる


地球環境を保護するなんて、人類が地球環境をコントロールできるというなんともおこがましいおごりに感じる

「地球環境共生」ならまだわかるいや実際には「地球環境からの防衛」であろう。

実際に人類は雨天すらコントロールなんてできないではないか。


地球環境は地球が生まれてから48億年(正しい?)激変している。硫酸の海のとき、氷河期のとき


地殻変動、最近多発しているだ大地震、四川大地震だって、地球にしてみれば、地殻変動のほんの一部ではないか、
太古の昔は全大陸が繋がっていたという。これが現代の大陸の位置に動いたのだ!

そんな地殻変動、、、、四川大地震ごときではない地層の動きがあったであろう。


この地球に人類は生かされているだけだ。

環境保護なんていわずに環境防衛というべきなのではないだろうか

グリーンピースやシーシェパードにだいひょうされる環境保護団体だっていったい何をしているのか

所詮は錬金術師たちではないか

人類の歴史自体地球環境からの防衛の歴史ではなかったではないか。

年間の気候変動に連動してできる果実や穀物は、それが実る季節しか食べることができなかった。


それ以外の季節は飢えをたえるしかなかった。

雨季と乾季など、人類は地球か環境に翻弄され続けてきた。


そして人類は、農耕や備蓄という方法を発明した。

これも地球環境からの防衛ではないか


いや共生というほうがよいのかも知れない。

人類はその方法を高度化させてきたことによって、現代、地球環境をコントロールできると勘違いしてはいないだろうか

今問題になっている地球温暖化問題もしかり、その原因を突き止め、押さえ込もうとしているが


それsれの国の利害もあり、温暖化の原因が何であるかというレベルで意見が対立し、一向に進まない
地球にもし意思というものがあれば、「おろかな人間よ」と笑っているかもしれない。

もちろん、環境破壊はもっといけない。汚染物質の垂れ流し、現在問題となっている。BP社の海底油田
からの原油流出事故。
これは論外であるこれは温暖化とは別次元のような気がする


「地球環境からの防衛「地球環境との共生」という発想をすれば、また別の知恵がでてくるのではないだろうか
人類のことめちゃsくちゃに叩いたが、僕は人類の英知を信じています。
発想の転換、パラダイムの変換をすれば、人類の英知をもっと生かせるのではないだろうか

などと、障害を負って自宅に居ることが多い僕はこんな思いにふける今日この頃でした。